日本歴史地名大系 「新宮周防守屋敷跡」の解説 新宮周防守屋敷跡しんぐうすおうのかみやしきあと 和歌山県:新宮市新宮町山際地新宮周防守屋敷跡[現在地名]新宮市新宮現本広(ほんこう)寺の地にあった熊野七上綱の一人新宮周防守行栄の屋敷跡。熊野七上綱は、弘安七年(一二八四)第三一代別当正湛の還俗以後、代わって熊野一帯を支配し、新宮(新・新屋)・芝・宮崎・滝本・矢倉(鵜殿)・中曾(中脇)・蓑島の七氏であった。行栄は新宮十郎行家の末裔で、元亀二年(一五七一)下熊野地(しもくまのじ)の屋敷から当地に移り、新殿ともいわれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by