新家庄(読み)しんげのしよう

日本歴史地名大系 「新家庄」の解説

新家庄
しんげのしよう

現新家に遺称を残す京都仁和にんな寺領庄園。平安時代末期頃には仁和寺領となっていた。「御室御所高野山御参籠日記」久安三年(一一四七)五月三日条に「着日根湊、即下船乗輿、到新□□、実厳儲□□於此所宿」とある。この「到新□□」は、翌四日条に「立新家庄」とあることから、三日、仁和寺門跡覚法法親王一行は当庄に宿泊したことが知られる。同日記によると、その後度々行われる覚法の高野山参籠には当庄で宿泊するのが常となっている。

文中二年(一三七三)一〇月二日の南朝方の楠木正顕書下(淡輪文書)によると「新家上座跡三分一」が淡輪太郎左衛門尉に宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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