日本歴史地名大系 「新所西方村」の解説 新所西方村しんじよにしかたむら 静岡県:湖西市新所西方村[現在地名]湖西市新所原(しんじよはら)三丁目・新所原東(しんじよはらひがし)・新所(しんじよ)・新所岡崎梅田入会地(しんじよおかさきうめだにゆうかいち)新所東方村の西に位置し、南は浜名湖に面する。中世は新所郷に含まれた。元禄郷帳に村名がみえ、高四〇八石余、幕府領と旗本佐橋領との相給(国立史料館本元禄郷帳)。その後一部(八三石余)が三河吉田藩領となる(宝暦一一年松平信復領知目録写・天明七年松平信明領知郷村高辻帳)。旧高旧領取調帳によると吉田藩領(八三石余)と佐橋領(三一三石余)の相給、ほかに女河(めがわ)八幡宮領二〇石余・曹洞宗岩松(がんしよう)寺領二石余・臨済宗常徳(じようとく)院(現同宗妙心寺派)領一石・同宗高徳(こうとく)院(現廃寺)領五斗。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by