改訂新版 世界大百科事典 「新沢遺跡」の意味・わかりやすい解説
新沢遺跡 (にいざわいせき)
奈良県橿原(かしはら)市川西町東常門(旧,高市郡新沢村)にある弥生時代の遺跡。奈良盆地の南部で,畝傍(うねび)山の南西方一帯にある標高150mほどの越智岡丘陵西方の低地に埋没していた。この丘陵上の北西部には,金製耳飾やガラス碗を出土して有名になった新沢千塚古墳があり(千塚),丘陵西麓の弥生遺跡は字名をとって新沢一(にいざわかず)遺跡と一般に呼んでいる。遺跡は,北流する曾我川と右岸の千塚山との間の扇状地にあるが,過去の発掘調査では,小竪穴や溝以外に顕著な遺構は確認されていない。しかし遺物は,弥生時代の前期後半のものから後期までのものが豊富に出土し,古くから紹介されることが多い。なかでも簾状文(れんじょうもん)で飾られた把手付きの水指形土器は,重要文化財として著名である。新沢一遺跡の北方には,天満山遺跡や忌部山(いんべやま)遺跡,南方には本馬丘遺跡という丘陵上の弥生時代後期の遺跡があって,防塞施設としての高地性集落であると説く見方がある。
執筆者:工楽 善通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報