新羅江荘(読み)しらぎえのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「新羅江荘」の意味・わかりやすい解説

新羅江荘 (しらぎえのしょう)

摂津国にあった東大寺領荘園。東大寺は752年(天平勝宝4)に摂津国東生(ひがしなり)・西成の両郡にあった安宿王あすかべのおう)の地3町6段249歩を買い取ったが,783年(延暦2)その一部とみられる西成郡堀江の北にあった9段の地を,南にあった勅旨荘(ちよくしのしよう)1町5段と交換し,江北の地には駅家を,江南の地には寺家の荘を置くこととなった。これが新羅江荘の前身である。交換した地は東生郡に属していたが,堀江の流路変更により後には住吉郡の所属となった。またこの荘は安曇江荘(あずみえのしよう)に接し,両荘の面積は合計1町5段59歩であった。この安曇江荘の所属は西成郡であったところから,この両荘は住吉・西成両郡にまたがって存在していたことが推測され,それは1130年(大治5)の〈東大寺諸荘文書並絵図等目録〉からも確かめられる。またそれによれば新羅江荘は4町の広さであったことが知られる。以後のこの荘の変遷は明らかではない。
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