施薬院宗伯(読み)せやくいん・そうはく

朝日日本歴史人物事典 「施薬院宗伯」の解説

施薬院宗伯

没年:寛文3.7.25(1663.8.27)
生年天正4(1576)
安土桃山時代,江戸前期の医者。本姓三雲,号は長生院近江国(滋賀県)に生まれ,幼くして父を失う。豊臣秀吉の重用する一鴎宗虎に養育されて医を学び,施薬院全宗の嗣子秀隆が父に先立って没したため全宗の養嗣子となった。秀吉の侍医となり法眼に叙せられ,全宗の没後に法印に進み施薬院使に任ぜられた。のち徳川家康の侍医となり,家康が入洛のときに宗伯宅で参内装束を改めたことから,これが代々将軍慣例となった。子孫は本姓の三雲を名乗り,家督を継いだのち施薬院と称し,代々禁裏付医師として京都に定住した。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史

(宗田一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「施薬院宗伯」の解説

施薬院宗伯 せやくいん-そうはく

1576-1663 織豊-江戸時代前期の医師。
天正(てんしょう)4年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)の人。施薬院全宗(ぜんそう)の子秀隆(ひでたか)が早世したため,のぞまれて養嗣子となる。豊臣秀吉,徳川家康・秀忠につかえた。子孫は施薬院使(長官)を世襲。寛文3年7月25日死去。88歳。本姓は三雲。姓は「やくいん」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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