朝日日本歴史人物事典 「施薬院宗伯」の解説
施薬院宗伯
生年:天正4(1576)
安土桃山時代,江戸前期の医者。本姓は三雲,号は長生院。近江国(滋賀県)に生まれ,幼くして父を失う。豊臣秀吉の重用する一鴎宗虎に養育されて医を学び,施薬院全宗の嗣子秀隆が父に先立って没したため全宗の養嗣子となった。秀吉の侍医となり法眼に叙せられ,全宗の没後に法印に進み施薬院使に任ぜられた。のち徳川家康の侍医となり,家康が入洛のときに宗伯宅で参内の装束を改めたことから,これが代々の将軍の慣例となった。子孫は本姓の三雲を名乗り,家督を継いだのち施薬院と称し,代々禁裏付医師として京都に定住した。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報