20世紀日本人名事典 「日下勺水」の解説 日下 勺水クサカ シャクスイ 江戸時代末期〜大正期の漢学者,歴史家 生年嘉永5年2月6日(1852年) 没年大正15(1926)年12月8日 出生地下総国古河(現・茨城県古河市) 本名日下 寛(クサカ ヒロシ) 別名号=鹿友荘,字=士栗 経歴漢学を川田甕江、重野安繹らに学び、のち修史局第2局乙科に勤め史料編纂掛となり、東京帝大史学科講師を兼ねた。「文科大学史誌叢書」を編纂。退官後は漢学者の塩谷青山、村山鶴堂らと廻瀾社を興し、雑誌「大正詩文」に力を注いだ。著書に「鹿友荘文集」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日下勺水」の解説 日下勺水 くさか-しゃくすい 1852-1926 明治-大正時代の漢学者。嘉永(かえい)5年2月6日生まれ。川田甕江(おうこう),重野安繹(しげの-やすつぐ)に師事。史料編纂掛(へんさんがかり)につとめ,東京帝大講師をかねる。廻瀾(かいらん)社で活躍し,雅文会の「大正詩文」を主宰した。大正15年12月8日死去。75歳。下総(しもうさ)古河(茨城県)出身。名は寛。字(あざな)は子栗。別号に鹿友荘。著作に「鹿友荘文集」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例