日本歴史地名大系 「日光目代屋敷跡」の解説 日光目代屋敷跡につこうもくだいやしきあと 栃木県:日光市日光山内馬町日光目代屋敷跡[現在地名]日光市本町日光奉行所の西隣にあり、南は馬町(うままち)通に面し、西は竜(りゆう)神社(現青龍神社)と四軒(しけん)町、北は大黒(だいこく)山麓に続く。日光目代は日光領と町方の民政を担当した日光山の代官で、一説には元和三年(一六一七)から寛永一一年(一六三四)までは山内の祐円(さんないのゆうえん)坊が任じられていたとされる(中興開闢記)。しかし日光目代山口氏由緒書(社家御番所日記)などによれば、元和年中(一書には元和六年六月)天海の推薦により山口忠兵衛常信が目代に任じられたもので、代々山口氏が世襲した。目代には東照宮領からの配当二〇〇石が知行分として与えられ、寛永六年以後は本坊領(東照宮領の内)から三一一石余、さらに承応二年(一六五三)に大猷(たいゆう)院領からの配当一〇〇石が加えられた(前掲由緒書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by