日向刑場跡(読み)ひなたけいじようあと

日本歴史地名大系 「日向刑場跡」の解説

日向刑場跡
ひなたけいじようあと

[現在地名]館林市日向町

日向村の西端、太田往還(現国道一二二号)北側にあった。設置の時期は明らかでないが寛文年間(一六六一―七三)徳川綱吉館林入部当時といわれ、また廃止は天和―貞享(一六八一―八八)頃という。延宝四年(一六七六)二月一五日領内の名主以下一八名が直訴の罪によって磔になった。日向村実記(滝野瀬家旧蔵)によれば、山田郡台之郷だいのごう(現太田市)の百姓小沼庄左衛門らは、綱吉入部後年貢が増すなどの苛政を江戸表へ直訴したため処刑され、庄左衛門の跡は闕所となり妻子も斬罪になったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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