日向方斉(読み)ヒュウガ ホウサイ

20世紀日本人名事典 「日向方斉」の解説

日向 方斉
ヒュウガ ホウサイ

昭和・平成期の実業家 住友金属工業名誉会長;関西経済連合会名誉会長。



生年
明治39(1906)年2月24日

没年
平成5(1993)年2月16日

出生地
山梨県西八代郡久那土村車田(現・下部町)

学歴〔年〕
東京帝国大学法律学科〔昭和6年〕卒

主な受賞名〔年〕
文部大臣賞〔昭和40年 昭和49年〕,藍綬褒章〔昭和44年〕,勲一等瑞宝章〔昭和55年〕,財界賞(昭57年度)〔昭和58年〕,セントマイケルズ大名誉法学博士(米国)〔昭和60年〕,オーストリア有功勲章一級章〔昭和62年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和62年〕,経済界大賞特別賞〔平成2年〕

経歴
昭和6年住友本社入社国務相、蔵相各秘書官、住友本社鉱山、査業各課長を歴任。19年住友金属企画課長に転じ、経理部長、総務部長、常務専務、副社長を経て、37年社長に就任。49年会長となる。52年から関経連会長を務め、62年名誉会長に。他に住友不動産、関西電力各取締役、日本鉄鋼連盟顧問など兼職多し。60年長年にわたる日本経済への貢献と、自由主義に基づく日米相互理解の功績をたたえられセントマイケルズ大から名誉法学博士号を授与された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日向方斉」の解説

日向方斉 ひゅうが-ほうさい

1906-1993 昭和後期-平成時代の経営者。
明治39年2月24日生まれ。昭和6年住友合資に入社。小倉正恒の秘書官をつとめ,19年住友金属工業にうつる。37年社長,49年会長。和歌山・鹿島製鉄所を建設し,銑鋼一貫体制を確立。40年通産省の粗鋼減産の行政指導に反対し,「住金事件」とよばれた。52年関西経済連合会会長となり,関西新空港,関西文化学術研究都市の建設をすすめた。平成5年2月16日死去。86歳。山梨県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「日向方斉」の解説

日向 方斉 (ひゅうが ほうさい)

生年月日:1906年2月24日
昭和時代;平成時代の実業家。関西経済連合会会長
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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