日本歴史地名大系 「日宇村」の解説 日宇村ひうむら 長崎県:佐世保市日宇村[現在地名]佐世保市日宇町・黒髪町(くろかみちよう)・烏帽子町(えぼしちよう)・大塔町(だいとうちよう)・もみじが丘町(おかちよう)・卸本町(おろしほんまち)・大岳台町(おおたけだいまち)・白岳町(しらたけちよう)・大和町(やまとちよう)・沖新町(おきしんまち)・天神町(てんじんちよう)・天神一―五丁目・東浜町(ひがしはまちよう)・十郎新町(じゆうろうしんまち)・前畑町(まえはたまち)・崎辺町(さきべまち)小佐世保(こさせぼ)村の南東に位置する。北部に烏帽子岳があり、南西流する日宇川が白岳の西の入江に注ぐ。白岳の東は早岐(はいき)瀬戸。中世は日宇村などとしてみえる。南西部の海に臨む前畑は戦国末期に後藤惟明(平戸松浦鎮信の弟)の居館が置かれ、その御前畑(おまえはた)に由来するという。彼杵(そのき)郡に属し、平戸往還筋の大塔に一里塚がある。天正一五年(一五八七)の筑後国肥前国肥後国郡之帳大方小名(橋村家文書)によれば、日宇では平戸を通じて伊勢の御祓大麻の配布が行われていた。慶長二年(一五九七)日宇村の八人が伊勢参宮に赴いている(「御参宮人帳」同文書)。江戸時代は平戸藩領相神浦筋郡代の管轄下。慶長国絵図に日宇村とみえ、高九五七石余。慶長九年の平戸領惣目録でも同様で、田六八町一反余・畑一〇町五反余、物成一五一石余・小物成三石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by