日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本婦人団体連合会」の意味・わかりやすい解説
日本婦人団体連合会
にほんふじんだんたいれんごうかい
平和、女性解放を目的に活動する女性団体の連合体。略称婦団連。1952年(昭和27)にソ連・中国を訪問した参議院議員、高良(こうら)とみ(1896―1993)の帰国歓迎会を機に、平塚らいてうが再軍備に反対し平和憲法を守るための女性統一組織結成を提唱して、53年4月5日に生活協同組合、日本民主婦人協議会、婦人民主クラブなど30余団体によって結成された。初代会長平塚らいてう、副会長高良とみ(1958年までは全日本婦人団体連合会と呼称)。
平和を世界に訴えるためにジュネーブにある国際民主婦人連盟(国際民婦連)に加盟、ビキニ環礁の水爆実験を契機に広がった日本女性の原水爆禁止運動を国際民婦連に伝えた。また1955年に開催された世界母親大会への代表派遣、その準備のための日本母親大会開催に際しては、その中心となり活動した。その後も女性運動の国際交流の窓口として大きな役割を果たす。60年安保条約反対、70年代のアメリカのベトナム侵略戦争反対、80~90年代は自衛隊の海外派遣反対、核兵器廃絶など平和の実現を目ざした。1975年国際婦人年連絡会に加わる。1958年から櫛田(くしだ)ふき(1899―2001)が3代目の会長に就任、2001年(平成13)まで務めた。月刊誌『婦人通信』、年刊で『女性白書』(1999年まで『婦人白書』)を発行している。
[石崎昇子]
『日本婦人団体連合会編『婦人のあゆみ八十年』(1960・新読書社)』▽『日本婦人団体連合会編『婦人のあゆみ百年』(1978・大月書店)』▽『日本婦人団体連合会編・刊『婦団連40年のあゆみ 1953年―1993年』(1993)』▽『日本婦人団体連合会編『女性白書』各年版(ほるぷ出版)』