日本大百科全書(ニッポニカ) 「母親大会」の意味・わかりやすい解説
母親大会
ははおやたいかい
「母親」の立場で女性たちが子供と教育、女性の地位向上、平和と民主主義などさまざまな問題について話し合う大会。大衆運動の一形態である。
1954年(昭和29)3月1日のアメリカによるビキニ環礁での水爆実験に対する日本の母親・女性たちの怒りと闘いを全世界に知らせるために、同年9月に日本婦人団体連合会は、会長の平塚らいてう(国際民主婦人連盟副会長、以下「国際民婦連」)ら5名の連名で国際民婦連執行局会議と各国の団体にあてて、「原水爆禁止のための訴え」を送った。そして、同年11月の国際民婦連執行局会議でこの訴えが支持され、「世界中の母親の要求を話し合う、母親大会にすべき」との日本の提案が全体から支持されて、「世界母親大会」を開催することが決定した。その日本代表派遣運動のなかで1955年6月、第1回日本母親大会が東京で開かれた。同年7月にスイスのローザンヌで世界母親大会(参加68か国、1060人、日本代表は14人)が開かれ、大会に寄せられたギリシアの女性詩人の詩「生命(いのち)を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」は、今日に至るまで日本母親大会のスローガンとして掲げられ、運動を統一するシンボルの役割を果たしている。世界母親大会は、第1回国際常設母親委員会が1956年2月に開かれ、核兵器の実験中止の要請文をイギリス・アメリカ・ソ連の各国政府に送るなどの活動を行ったものの、その後開かれなくなった。
日本では、母親大会は、草の根に根ざした重層的な運動として発展した。日本母親大会連絡会および大会実行委員会の活動を中心に、県大会、地域・職場集会を積み重ねて、年1回、多数の分科会と全体会からなる日本母親大会が全国各地で開催され、活発な運動を展開している。2020年(令和2)時点では、母親大会参加団体は全国47都道府県実行委員会と、50中央団体の計97団体である。
第1回日本母親大会開催以降、基地反対闘争、勤務評定反対運動、安保闘争、沖縄返還の闘い、ベトナム反戦運動支援、保育所・学童保育所づくり、小児麻痺(まひ)生(なま)ワクチン輸入・投与要求運動、高校全入運動、公害反対、小選挙区制反対、物価問題、老人問題など、取り組んできた課題は、その時々の情勢を反映して多岐にわたる。
なお、「母親」ということばの解釈については、1957年の第3回日本母親大会で話し合われた。その結果、「現在、母である人はもとより、母となるべき人、若い人も、お年よりも、みんなを対象」にすることになり、以降、「母親」は象徴的なことばとして使われている。
[神尾真知子 2020年5月19日]
『木村康子著『いのちのうた響かせながら――母親大会ものがたり』(1999・かもがわ出版)』▽『『日本母親大会50年のあゆみ』編集委員会編・刊『日本母親大会50年のあゆみ(1955~2004)』(2009)』