日本立憲政党新聞

デジタル大辞泉プラス 「日本立憲政党新聞」の解説

日本立憲政党新聞

明治時代新聞ひとつ。1876年創刊の「大阪日報」の筆禍に備えた身代わり紙、かつ日本立憲政党の機関紙として1882年に創刊。創刊直後に筆禍にあい、発行停止処分となる。その後「大阪日報」が復刊され、1888年11月以降は「大阪毎日新聞」となった。

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世界大百科事典(旧版)内の日本立憲政党新聞の言及

【毎日新聞】より

…《大阪毎日新聞(《大毎》)》と《東京日日新聞(《東日》)》がその前身。《大毎》は1876年2月,西川甫(はじめ)(1831‐1904)を社主に《大阪日報》として創刊,82年筆禍対策の〈身代り紙〉として興された《日本立憲政党新聞》に事実上受け継がれた(号数もこれから継承している)。85年《大阪日報》に題号を戻し,いったん休刊の後,88年11月大阪実業界の支援により《大阪毎日新聞》として再発足した。…

【立憲政党】より

…同年11月,中央の自由党(10月結成)とは別個の政党として結成され,総理には当初板垣を迎えようとしたが実現せず,自由党副総理の中島信行が兼任した。82年2月,その組織を発表し,《大阪日報》を買収して機関紙《日本立憲政党新聞》(主筆古沢滋)を創刊した。中心メンバーは古沢滋,小室信介,小島忠里,永田一二ら関西の民権家と,東京から来た嚶鳴社員河津祐之,草間時福。…

※「日本立憲政党新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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