1876年8月5日,明治政府は領主・公卿・武士らへの家禄支給を廃し,代りに公債を交付することを令した(太政官布告108号)。これを秩禄処分といい,この公債が金禄公債である。これによって,封建支配層としての領主・武士層は消滅し,彼らはすべて公債を所有する利子生活者となった。このとき華士族層に交付された金禄公債は,5円,10円,25円,50円,100円,300円,500円,1000円,5000円の9種で,これらには5分利,6分利,7分利,例外として1割の利子のものがあった。この公債は,発行年である1877年から5ヵ年据え置き,6年目から抽選によって30ヵ年のうちにすべて償還されることになっていた。
華士族に交付される金禄公債の額の算定方法は,金禄公債証書発行条例に規定されているが,概要は次のとおりである。永世禄(代々その家に対し永久に支給される家禄)の場合,家禄高(家禄は1875年9月定額の現金支給,すなわち金禄に改められていた)100円未満の者に対しては,家禄高を6級に分け,家禄高の11.5~14年分に相当する額の7分利付公債を交付し,家禄高100円以上1000円未満の者については13級に分け,その7.75~11年分相当額の6分利付公債を交付し,家禄高1000円以上の者については11級に分け,その5.5~7年分相当額の5分利付公債を交付する。そして終身禄(一代限り支給家禄)の者には,永世禄の半額,年限禄の者には,年限の長短によって6級に分け,それぞれ永世禄の15~40%の額の公債を交付する。このように少禄者ほど有利で,高禄になるほど苛酷な形式となっている。また,従来売買が許されていた家禄には,とくに家禄高10ヵ年分相当額,1割利の公債が交付された。これはおもに維新戦争の功績者であり,また家禄整理に強く反対していた旧薩摩藩士族に対する優遇措置であった。金禄公債は,交付をうけた士族層が直ちに手放してしまわないよう売買譲渡が禁止された。さらに政府は,1876年8月,国立銀行条例を改正して,従来の銀行券の金貨兌換をやめ,資本金の8割まで,金禄公債などの公債を政府に供託して同額の銀行券を発行することを認め,かつ,その引換準備としては資本金の2割を通貨(不換紙幣)で用意すればよいとした。これによって銀行営業はきわめて有利な事業となった。こうして政府は,士族が交付された金禄公債を出資して国立銀行を設立する道を開き,とくに華族については,国立第十五銀行を設立させ,これに特別の保護を与えた。
金禄公債の発行額は,総計約1億7400万円,交付人員は約31万4000人にのぼった。国立銀行条例改正(1876)までに設立された国立銀行は4行にすぎなかったが,以後1879年末までに153行が設立され,その大部分は金禄公債によるもので,士族が株主の多数を占めた。しかし,金禄公債交付額の算定は上述のように下に厚く上に苛酷な形がとられたものの,実際の公債支給額は,華族と一般士族,とくに中士以下の者とでは極めて大きな隔りがあり,一般士族は家禄から公債への切換えによってさらに窮乏の度を深めた。そのため1878年9月,金禄公債の売買譲渡を政府が解禁すると,公債の多くは売却され,商人や金融業者の手に集中し,国立銀行株主のなかで士族が占める地位も著しく低下した。80年に国立銀行株金のうち士族が所有する分は31%であったが,85年には23%に落ち込んでいる。一方,華族の所有する株金高のみは,同じ期間43%から42%とほとんどその高い比重を変えていない。しかし金禄公債は,その元来の交付者であった士族の没落とはかかわりなく,国立銀行条例改正を通じて多額の資金に転化され,新たな企業の発生・発展を促したのであった。
執筆者:丹羽 邦男
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1876年(明治9)8月5日太政官(だじょうかん)布告金禄公債証書発行条例に基づき、明治政府が、公家(くげ)、領主、武士らに交付した公債。この公債交付と引き換えに、家禄支給は廃止された。公債の利率は、5分、6分、7分、1割に分かれ、5円、10円、25円、50円、100円、300円、500円、1000円、5000円の9種類の証書が発行された。公債は、発行の年(1877)から5年間据え置き、6年目から抽選で償還を始め、通計30か年で償還を終えるとされた。政府はこれを有禄者31万人余に交付し、総額は1億7384万円余に達した。
これによって、政府歳入の4分の1から3分の1を占めていた家禄支出は解消し、近代化を進める政府の財政を助けた。この公債は、窮乏した士族がすぐ手離さないよう当初は売買が禁止されていたが、78年9月にこの禁が解かれると、多くが商人らの手に渡った。また、この公債を出資して国立銀行を設立することが認められたので、各地に士族による国立銀行が生まれた。
[丹羽邦男]
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明治期に秩禄処分のために発行された長期国債。1876年(明治9)制定の金禄公債証書発行条例にもとづく。償還期限30年。75年に過去3年間の平均石代相場で換算して現金支給(金禄)に切り替えた家禄・賞典禄を廃止するため,禄高に応じて数年分の金禄を年利5~7%の金禄公債で支給した。永世禄は5~14年分,終身禄は永世禄の50%,年限禄は永世禄の15~40%に減額。金禄が少ないものほど換算年数・利率で優遇され,廃藩前の禄券法で売買されたものについては元高の10年分を年利10%の金禄公債で支給した。78年から約1億7400万円を発行したが,1906年までに償還を終了。
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…69年(明治2)の藩政改革では監察局総裁,ついで鹿児島県大参事,権令を経て74年県令。75年の地方官会議では民会の設置を批判し,金禄公債発行に際しては鹿児島士族への特別措置を認めさせた。専断で県費を私学校費に流用し,私学校幹部を県官に任用,77年の西南戦争では西郷軍側に立った。…
…このため76年8月政府は条例を改正し,銀行券の正貨兌換を廃止し,通貨兌換に改めた。この改正では銀行券の発行限度額は増加され,金禄公債証書(明治政府が旧士族に交付した公債)の出資が認められたことなどもあって,国立銀行の設立は容易になり,78年12月までに153行が発足した。一方,それまで国立銀行以外,銀行を称することは禁止されていたが,国立銀行条例改正にともない,それも解除され,76年の三井銀行をはじめ,安田銀行などの普通銀行(普通銀行・特殊銀行)が成立した。…
…これは国の支払いの手段であって,国の収入とはならない。日本では,明治初期,財政基盤が確立していなかった維新政府が発行した金禄公債や秩禄公債(秩禄処分)をはじめとして,戦費調達や恐慌救済等のため発行された事例は多い。第2次大戦後も農地改革のときに旧地主に交付された農地被買収者国庫債券(農地証券),戦没者の妻に交付された特別給付金国庫債券(遺族国債)などが発行されている。…
※「金禄公債」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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