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日比賠償交渉 にっぴばいしょうこうしょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日比賠償交渉
にっぴばいしょうこうしょう

第2次世界大戦終結に伴う日本とフィリピン間の賠償協定締結までの交渉。フィリピンは 1951年9月のサンフランシスコ講和条約交渉に参加し,対日講和条約に署名したが,賠償問題解決までは批准しない方針をとった。交渉は 52年1月の日本側賠償使節団 (団長,津島寿一) のマニラ派遣で開始され,フィリピンは総額8億ドルの現金賠償を要求して日本の役務賠償方針と対立,交渉は難航した。 53年3月日本は賠償の一部に資するため,沈没船引揚げに関する中間賠償協定を締結,54年4月には4億ドルに上る資本財,役務の供給などを内容とする大野=ガルシア覚え書に署名した。さらにその後 55年6月の中川=ラグーサ合意議事録仮署名など多くの曲折を経たのち,56年5月9日賠償協定を締結,同協定は同年7月 23日発効した。これにより日本は 20年間に,5億 5000万ドルの賠償を支払うことになった。

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