津島寿一(読み)ツシマ ジュイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「津島寿一」の解説

津島 寿一
ツシマ ジュイチ


肩書
蔵相,防衛庁長官,参院議員(自民党)

生年月日
明治21年1月1日

出生地
香川県坂出市

学歴
東京帝大法科大学政治学科〔明治45年〕卒

経歴
大蔵省に入り、昭和2年には欧米駐在の財務官となって金解禁に伴うクレジット設定の衝にあたる。9年に帰国後は理財局長を経て岡田内閣の大蔵次官、日銀副総裁、北支開発会社総裁を歴任。太平洋戦争の終戦前後に蔵相を務め公職追放となったが、解除後は外務・大蔵両省顧問となり、26年日比賠償全権委員、27年外債会議日本首席代表としてフィリピンインドネシアとの賠償交渉や米英との外債処理協定をまとめた。また28年には参院選全国区に当選、岸内閣の防衛庁長官を務めている。一方、多芸多才で知られ、日本棋院総裁、日本庭球協会会長、日本オリンピック委員会委員長、日本体育協会会長なども歴任し、著書に「閑適生活(全3巻)」がある。

没年月日
昭和42年2月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「津島寿一」の解説

津島 寿一
ツシマ ジュイチ

大正・昭和期の政治家 蔵相;防衛庁長官;参院議員(自民党)。



生年
明治21(1888)年1月1日

没年
昭和42(1967)年2月7日

出生地
香川県坂出市

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治学科〔明治45年〕卒

経歴
大蔵省に入り、昭和2年には欧米駐在の財務官となって金解禁に伴うクレジット設定の衝にあたる。9年に帰国後は理財局長を経て岡田内閣の大蔵次官、日銀副総裁、北支開発会社総裁を歴任。太平洋戦争の終戦前後に蔵相を務め公職追放となったが、解除後は外務・大蔵両省顧問となり、26年日比賠償全権委員、27年外債会議日本首席代表としてフィリピン、インドネシアとの賠償交渉や米英との外債処理協定をまとめた。また28年には参院選全国区に当選、岸内閣の防衛庁長官を務めている。一方、多芸多才で知られ、日本棋院総裁、日本庭球協会会長、日本オリンピック委員会委員長、日本体育協会会長なども歴任し、著書に「閑適生活(全3巻)」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津島寿一」の解説

津島寿一 つしま-じゅいち

1888-1967 大正-昭和時代官僚,政治家。
明治21年1月1日生まれ。大蔵次官,日銀副総裁,北支那開発総裁などをへて,小磯,東久邇(ひがしくに)両内閣の蔵相。昭和28年参議院議員(当選2回),第1次岸内閣の防衛庁長官。日本体育協会会長,日本棋院総裁をつとめた。昭和42年2月7日死去。79歳。香川県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「津島寿一」の解説

津島 寿一 (つしま じゅいち)

生年月日:1888年1月1日
大正時代;昭和時代の政治家。衆議院議員;日本オリンピック委員会委員長
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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