日見谷村(読み)ひみたにむら

日本歴史地名大系 「日見谷村」の解説

日見谷村
ひみたにむら

[現在地名]波賀町日見谷

引原ひきはら川の右岸に位置し、西は下小野村、南は杉田すぎた(現一宮町)領主変遷は延宝七年(一六七九)まで安賀やすが村と同じ。同年幕府領(「本多家譜」東京大学史料編纂所蔵など)、延享元年(一七四四)大坂城代堀田正亮(出羽山形藩)(「天保校訂紀氏雑録」日産厚生会佐倉厚生園蔵)、同三年上野館林藩領、宝暦二年(一七五二)大坂城代松平輝高(上野高崎藩)領、同一三年幕府領(波賀町誌)、明和六年(一七六九)尼崎藩領、文政一一年(一八二八)幕府領となり幕末に至る(岡本家文書・旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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