日野牧(読み)ひののまき

日本歴史地名大系 「日野牧」の解説

日野牧
ひののまき

日野川上・中流域、日野町一帯に比定される牧。なお応長二年(一三一二)三月一九日の寄進状(長命寺文書)に「日野牧領新田三百歩、在蒲生下郡桐原郷内十三条十八里廿三坪」などとあり、また「蒲生郡志」は現近江八幡市域の琵琶湖岸にも及ぶ広域の牧であったとするが不詳。天喜四年(一〇五六)四月一七日の東大寺使神成則請文(エール大学所蔵東大寺文書)や康平元年(一〇五八)一一月日付の近江国雑掌秦安成解(東南院文書)に「日野御牧」とみえ、東大寺封戸米が拠出されていた。のちに基本的には摂関家氏長者渡領となるが、牧としての機能が希薄になり庄園化するにともない、中世には延暦寺や日野家、大聖だいしよう(現京都市上京区)なども分割領有するようになる。なお、嘉元三年(一三〇五)頃とされる摂家渡庄目録(九条家文書)には「日野牧 免田五十町 加納五百町」と「本牧 免田三十町 加納三百町」が並記されるが、日野牧と日野本牧との関係については不明、また日野牧を冠して、永源寺領「日野牧上保」(応永一七年七月二五日「足利義持御教書」永源寺文書)山本やまもと(現日野町)などが史料上散見するが、当牧内の一部が立保されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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