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おもに室町時代,守護が荘園や国衙領の支配・管理の委任を受け,契約した年貢の納入を請け負う制度。南北朝・室町時代,地方の国人領主や守護被官等による荘園・国衙領の侵害によって年貢収納は滞りがちであったが,荘園領主・知行国主はその打開の一手段として守護請の契約に踏み切った。高野山領紀伊国南部荘では14世紀末に守護大内氏の斡旋で下地中分が行われ,領家方は新守護畠山氏の守護請となった。守護請になっても年貢未進は解決されず,高野山領備後国大田荘では守護山名氏による請負額は年1000石であったが,37ヵ年で2万石以上の未進額に達した。文明年間(1469-87)一条家の荘園所領の多くは赤松・山名・細川・朝倉氏など有力守護の請負となっていたが,大半は納入額が減少するか,守護被官の押領にあって,年貢徴収は事実上不可能となっていた。これは荘園制の事実上の解体を示唆する現象といえる。
執筆者:佐々木 銀弥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
室町時代、荘園(しょうえん)領主が守護・守護代に荘園管理を一任、毎年の豊凶にかかわらず一定の年貢を請料(うけりょう)として進納させた年貢請負(うけおい)をいう。南北朝内乱以降、守護の地域的封建領主化に伴い、荘園領主は守護の力に依存しなければ荘園を保持することが困難となり、また従来の請負人である地頭・国人層が守護の被官となっていったため、守護と請負契約を結ばざるをえなかった。初めは契約によって成立していたが、荘園侵略を積極化する守護は、武力を背景にして請所(うけしょ)を強要した。こうした事情は国衙(こくが)領においても同様で、請負契約は実行されないことが多く、守護請を通して守護の支配が拡大し、守護領国形成が助長されていった。
[安田元久]
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室町時代,荘園・国衙(こくが)領の年貢を守護が一定額で請け負う制度。南北朝期以降,荘園の請所(うけしょ)化が広まり,一方では地下請(じげうけ)などもみられたが,国人(こくじん)・土豪の非法や農民の抵抗が強い場合などには,守護や守護代に荘園・国衙領の所務を任せることも行われた。一定の年貢確保が目的だったが,これにより荘園領主はたんなる得分権者になり,請地は事実上の守護領となる。現実には契約どおりに年貢が納入されないことが多く,守護請は荘園制を崩壊させ,守護の領国形成の契機となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…室町幕府の地方行政官であった守護が付与された諸権限をてこにして任国を領国化していく事態は,具体的には国内の在地領主,荘園,国衙(領)の3者との関係において論じられた。まず領主層を服属させて直属家臣団を形成すること,次に中央所課段銭の徴収等を通して家臣を荘園に入部させ,荘園を守護請し,徐々に荘園領主権を後退させて自己の支配基盤に転化していくこと,また国衙在庁の被官化や国衙目代職の進退権を獲得して国衙機構を掌握するとともに国衙領を守護請すること,などである。ところがその後の研究史は,守護の荘園領主に近似する性格を指摘し,それに対して国人領主の荘園に対する独自の支配権確立への志向を強調し,守護領国内における支配権力の二重構造的性格を提示した。…
※「守護請」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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