日野重光(読み)ひのしげみつ

改訂新版 世界大百科事典 「日野重光」の意味・わかりやすい解説

日野重光 (ひのしげみつ)
生没年:1370-1413(建徳1・応安3-応永20)

室町前期の公卿。資康の子。娘重子は6代将軍足利義教に嫁ぐ。1394年改元に際して年号の勘者に選ばれ応永の号を勘進したが,重光自身は将軍義満の意に違い改元仗議に出仕できなかった。97年権大納言昇進,1408年従一位に叙される。この間,武家伝奏,南都伝奏として公家寺社訴訟朝廷幕府に取り次いだ。45年(文安2)左大臣を贈られる。
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関連語 鳥居

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日野重光」の解説

日野重光 ひの-しげみつ

1370-1413 室町時代の公卿(くぎょう)。
応安3=建徳元年生まれ。日野資康(すけやす)の子。日野家の一流裏松家の祖。姉の康子が3代将軍足利義満の後妻,妹の栄子が4代将軍義持の妻,娘重子が6代将軍義教(よしのり)の妻となり,外戚(がいせき)として権勢をふるう。従一位,大納言にのぼった。応永20年3月16日死去。44歳。号は善永。法名は兆年,亀年。

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