旦谷村(読み)だんやむら

日本歴史地名大系 「旦谷村」の解説

旦谷村
だんやむら

[現在地名]若葉区旦谷町たんやちよう

谷当やとう村の北西に位置する。慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳に村名がみえ、高一二〇石余で、一〇間の道普請を負担。同九年と推定される頃「たんや」一〇石余が旗本安藤領で、寛永二年(一六二五)には「たん屋村」一三石余が旗本神尾領、段谷村九七石余が旗本赤井領となる(知行宛行状)。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一五四石余で佐倉藩領。幕末も同藩領。嘉永三年(一八五〇)の千葉筋成箇取付帳によると元禄五年・同一〇年・寛保二年(一七四二)・弘化二年(一八四五)に新田畑が高入れされ、年貢は免取法で嘉永二年から三ヵ年定免、米四六石余・永八〇〇文余を納めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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