日本歴史地名大系 「時安村」の解説 時安村ときやすむら 広島県:神石郡三和町時安村[現在地名]三和町時安神石郡の東南隅に位置し、東は小田(おだ)川の猿鳴(えんめい)峡ともむら山(六〇二メートル)で安那(やすな)郡(現福山市)、南は奴田原(ぬたばら)山(六〇四メートル)で坂瀬川(さかせがわ)村、西は大仙(だいせん)山(五八九メートル)で井関(いせき)村、北は上野(うえの)村(現油木町)に各々接する。坂田谷(さかただに)・折谷(おりだに)・佐草谷(さくさだに)・時安谷・竹之上谷(たけのうえだに)・久留美谷(くるびだに)・東大忠谷(ひがしおおただだに)・西大忠谷・飯山(いいのやま)などの小字があるが、そのほとんどが谷とよばれるのは珍しい。四周を山に囲まれ、また村内も五〇〇―六〇〇メートル級の山地であるためだろう。このうち中世の名田の名の名残と思われる時安谷が中心地で、渡辺綱の子孫と称する土豪渡辺豊綱の居城丸山(まるやま)城跡がある。一方東端の久留美谷には同じく土豪金山清高が居城したと伝える大歳山(おおとしやま)城跡があり、のちに楠木正儀の子正秀がこの地に来り、吉岡と姓を変え勢力を張り、亀山(かめやま)八幡を創建、さらには丸山城をも支配したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by