正秀(読み)マサヒデ

デジタル大辞泉 「正秀」の意味・読み・例文・類語

まさひで【正秀】

[1750~1825]江戸後期刀工出羽の人。本名、川部儀八郎。号、水心子。江戸に出て、鎌倉末期から南北朝時代の刀を理想とする復古刀論を唱えた。著「刀剣実用論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「正秀」の意味・読み・例文・類語

まさひで【正秀】

  1. [ 一 ] 江戸時代の刀工。出羽国赤湯村(山形県南陽市)の人。姓は川部。号は水心子。晩年、天秀と改名。初め相州伝の大乱れ刃、津田助広写しの濤瀾刃を製作した。のち、鎌倉末期から南北朝時代の刀剣に範を求める復古刀論を唱え、幕末の世に大いに受け入れられた。寛延三~文政八年(一七五〇‐一八二五
  2. [ 二 ]みずたまさひで(水田正秀)

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朝日日本歴史人物事典 「正秀」の解説

正秀

没年:文政8.9.27(1825.11.7)
生年:寛延3(1750)
江戸後期の刀工。出羽国赤湯(山形県)に生まれ,はじめ宅秀,英国と銘し,安永3(1774)年,山形藩主秋元家の家臣となって川部儀八郎正秀と名を改め,水心子と号した。秋元家臣となったころ江戸に出て,八王子(東京都)の下原派の吉英に学び,江戸浜町に住んだ。若年より刀の鍛法に興味を持ち,理論と実践の両方を志して,『刀剣実用論』(1812ごろ刊),『剣工秘伝志』(1821ごろ刊)などを著し,また作刀も数多い。刀の作風は初期には大坂の津田助広を写した濤瀾刃を焼いているが,文化(1804~18)ごろからは,派手な刃文を焼いた刀は折れやすいとの考えで,備前伝の小互の目,小丁字の刃文となる。その教えを受けた刀工は,自著の『水心子正秀門人帳』に直胤,正義をはじめ日本各地の84人を載せているように,新々刀鍛冶に強い影響を与えた。<参考文献>黒江二郎『水心子正秀とその一門

(原田一敏)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正秀」の解説

正秀(1) まさひで

1750-1825 江戸時代中期-後期の刀工。
寛延3年生まれ。武蔵(むさし)多摩郡(東京都)下原(したはら)派の吉英に師事し,宅英,英国と銘する。江戸にでて安永3年山形藩主秋元家につかえ,川部儀八郎正秀と名のる。復古新刀論をとなえ,おおくの名刀をきたえた。晩年は天秀とあらためた。文政8年9月27日死去。76歳。出羽(でわ)赤湯(山形県)出身。本姓鈴木。号は水心子(すいしんし)。著作に「刀剣実用論」「鍛錬玉函」など。

正秀(2) まさひで

水田正秀(みずた-まさひで)

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