時枝城跡(読み)ときえだじようあと

日本歴史地名大系 「時枝城跡」の解説

時枝城跡
ときえだじようあと

[現在地名]宇佐市上時枝、下時枝 森田

伊呂波いろは川右岸の台地上、現在の宇佐市立糸口いとぐち小学校を中心とする地域に所在する。弥勒寺寺務職時枝氏代々の居城で、別名時枝切寄ともいい、反大友方の在地武士が結集する重要拠点であった。天正八年(一五八〇)の一二月二日付元重鎮頼宛の田原紹忍感状(元重実文書)に「時枝切寄之悪党」とみえる。時枝氏は応永(一三九四―一四二八)の初め山城国八幡やわた(現京都府八幡市)慶安寺の徒を弥勒寺の寺務役とし、時枝に塁を築き時枝氏を称したのに始まるという(両豊記)。時枝氏は弥勒寺領米市四所と四〇町の地を居屋敷としていたが、永禄年間(一五五八―七〇)以降、大友氏の社奉行奈多鑑基は「時枝居屋敷」を林式部少輔の給地として与え、時枝氏は家臣とともに宅所を失い退出した(四月二八日「宇佐宮一社中目安状案」到津文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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