晴気城跡(読み)はるけじようあと

日本歴史地名大系 「晴気城跡」の解説

晴気城跡
はるけじようあと

[現在地名]小城町大字晴気

西千葉にしちば城ともいう。千葉胤貞は正和五年(一三一六)下総国より小城に下向してきて、まず晴気の城に居住した(元茂公御年譜)。西晴気の西方、標高二〇〇メートルのじよう山とよばれる場所である。頂上部が平らになっており、古井戸の跡が残されていた。

文明二年(一四七〇)土一揆合戦の後、千葉氏は二家に分れるが、吉田の千葉城に拠る東千葉に対し、当城の千葉氏を西千葉とよぶようになる。明応六年(一四九七)千葉胤資が少弐政資・高経と籠城し、東千葉の興常が率いる大内軍と戦い、敗北したという(九州治乱記)。胤資は城を枕に討死、政資は多久専称たくせんしよう寺で自刃、高経はいちかわ(現佐賀郡富士町)で自刃している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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