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曇曜 どんようTan-yao; T`an-yao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

曇曜
どんよう
Tan-yao; T`an-yao

中国,北魏の僧。もと北涼の僧であったが,太武帝の北涼征服によって魏都平城に移った。太武帝の仏教弾圧が終り,文成帝のとき仏教が復興すると (452) ,彼は沙門統となり,奏請して雲崗石窟を国家の事業として開削した。また僧祇戸 (そうぎこ) ,仏図戸の制度を設けて,仏教教団の経済的基礎を固めた。

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世界大百科事典内の曇曜の言及

【雲岡石窟】より

…第7,第8洞は前後2室の同規模窟からなり,大仏をおかず,列龕ばかりで壁面を構成し,計画的に設計された建築的構成を示している。時期は最初にひらかれた大仏窟である曇曜窟と併行か,やや下るとされる。そのすぐ西の第9,第10洞はそののちに造営され,正面に列柱をつくり出して主室を塔柱窟としたもの。…

【仏図戸】より

…中国における仏教教団の隷属民。北魏の沙門統曇曜が,476年(承明1)ごろ,孝文帝に奏請して設置したもので,寺院の清掃や寺田の耕作などに従事した。寺戸ともいった。…

※「曇曜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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