朝日日本歴史人物事典 「曲淵景漸」の解説
曲淵景漸
生年:享保10(1725)
江戸後期の江戸町奉行。明和1(1764)年2月目付のとき,大坂での朝鮮通信使従者殺害事件の処理に当たる。同4年12月大坂町奉行のときは,大坂家質奥印差配所設置にかかわる。天明7(1787)年5月江戸町奉行のとき,江戸は米価高騰で市中が不穏な状況に陥ったが,曲淵は適切な対応を取らず,数日にわたり打ちこわしが各所で起きる。以前の飢饉では猫1匹が3匁したが,今回はそれほどでもないといったという風聞も立った。よって翌6月町奉行を罷免されたが,翌8年11月に公事方勘定奉行となる。天明の打ちこわしを惹起した対応を除けば,真に能吏であった。<参考文献>上田秋成「肝大小心録」(『新燕石十種』8巻),山田忠雄「江戸打毀しの時代相」(『一揆打毀しの運動構造』)
(安藤優一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報