更地村(読み)さらじむら

日本歴史地名大系 「更地村」の解説

更地村
さらじむら

[現在地名]大野町稲富いなとみ

古川ふるかわ村の東、根尾ねお川右岸にある。南部の三田畑さんだばた村は当村枝郷(新撰美濃志)。享禄五年(一五三二)六月一〇日の七ヶ井名主百姓等連署人数帳(堀部千氏所蔵文書)に更地の国枝清左衛門尉ほか「名主御百姓等罷出候」とある。永禄元年(一五五八)四月日の斎藤義龍井水掟書(安藤鉦司氏所蔵文書)では更地井水について従前のように取水口を立てて利用するよう定めている。天正一一年(一五八三)一一月一三日の稲葉一鉄書状(加納文書)によれば、安藤守就を討った加納悦右衛門に更地などが与えられている。慶長郷帳に「さゝ地村」とみえ、高一千四九三石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では奥平忠隆(加納藩)領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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