書副村(読み)かいぞえむら

日本歴史地名大系 「書副村」の解説

書副村
かいぞえむら

[現在地名]柵原町書副

羽仁はに村の南、山間に位置し、南西周佐すさ村。「東作誌」によると慶長八年(一六〇三)の記録には恒淵つねぶち村とあるが、公使巡検のときあまりの小村ゆえ書落し、あとから書添えたので書副村と称するようになったという。正保郷帳に村名がみえ、田一四五石・畑四九石余。元禄二年(一六八九)の差出控(弓斎収集史料)では書添村とあり、高二四八石余、林山六町三反余、家数三一(うち本百姓一一・寺家一・名子家来一九)。「東作誌」によれば毛付高二一二石余、家数三三、男七四・女六〇、ほかに番人一人。津山藩森氏断絶後は幕府領、元禄一四年甲斐甲府藩主徳川綱豊領、宝永六年(一七〇九)幕府領、延享二年(一七四五)播磨三日月藩預、寛政六年(一七九四)播磨龍野藩預、文化四年(一八〇七)美濃岩村藩領、同七年幕府領、天保一一年(一八四〇)龍野藩預、明治元年(一八六八)鶴田藩領(美作国郷村支配記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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