日本の城がわかる事典 「月山日和城」の解説 がっさんひわじょう【月山日和城】 宮崎県都城市高城町にあった城で、日向三高城の一つ。伊東氏と島津氏がこの地方の拠点として争奪戦を繰り広げた。城の縄張りは池の城・内の城・中の城・本城・真城・樽原・取添の曲輪(くるわ)があり、麓(ふもと)に城主居館が設けられていた。遺構は、真城の周囲に低いが土塁跡が残り、真城と本城の間の通路には空堀の跡がある。城は元弘年間(1331~34年)に肝属兼重(きもつきかねしげ)によって築かれた。兼重は、この城に南朝方から受けた錦の御旗をひるがえし、北朝方の畠山軍と戦ったが、1339年(延元4)に落城し、高山へ退いた。その後、日向守護職の畠山直顕(ただあき)が城主となったが、和田氏、島津氏と城主を変えた。1495年(明応4)、伊東氏と飫肥(おび)・三俣を交換し、伊東氏が領したが、都城の北郷忠相(ほんごうただすけ)が伊東氏を追い払い居城した。戦国時代終わりには伊集院氏が領有し、庄内の乱で激戦が繰り広げられたが、この乱後はまた北郷氏のものとなり、1615年(元和1)、一国一城令により廃城となった。JR日豊本線都城駅からバスで高城上町下車。宮崎道都城ICから国道10号線経由県道47号線約5km。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報