有楽町三丁目(読み)ゆうらくちようさんちようめ

日本歴史地名大系 「有楽町三丁目」の解説

有楽町三丁目
ゆうらくちようさんちようめ

[現在地名]千代田区有楽町一丁目

明治五年(一八七二)に成立。有楽町一―二丁目の南に位置し、東を外堀に限られる。東の数寄屋すきや橋で京橋方面へ至る。かつて南から西は外堀から入る堀が走り、その到達点と日比谷ひびや堀間に日比谷御門があったが、明治期に両方廃止された。江戸時代には大名だいみよう小路の一画をなし、東部数寄屋橋御門内すきやばしごもんない西部日比谷御門内ひびやごもんないと通称した。東部は慶長期(一五九六―一六一五)以来東側が摂津三田藩九鬼家、西側が丹波篠山藩(のち播磨明石藩)松平(藤井)家の上屋敷であったが、元禄四年(一六九一)東側が肥前島原藩松平家上屋敷、西側が上野前橋藩酒井家上屋敷となり、東側は幕末まで存続し、西側は美濃郡上藩青山家上屋敷などを経て、安政三年(一八五六)には常陸笠間藩牧野家上屋敷となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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