服織庄(読み)はとりのしよう

日本歴史地名大系 「服織庄」の解説

服織庄
はとりのしよう

安倍川に藁科わらしな川が合流する地点の北側に形成された平地を中心に、安倍川の東岸地域を含めて成立した庄園。現羽鳥はとりを遺称地とする。

安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書)に「駿河国服織」とみえる。寿永三年(一一八四)四月六日、源頼朝が「服織庄」など一六ヵ所を平家没官領として池大納言平頼盛家に返付している(「源頼朝安堵状案」久我家文書)。これらのことから、当庄は鳥羽院皇女八条院子を本家とし、平頼盛を領家とする皇室領庄園であることがわかる。建長八年(一二五六)八月二五日の九条家重書目録(九条家文書)によると、建久七年(一一九六)一月に播磨国田原たわら(現兵庫県福崎町)・安芸国安摩あま(現広島県安芸郡など)とともに、当庄の本家職が八条院から後鳥羽院皇女春花門院に譲られている。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録(京都大学蔵古文書集)では、当庄に「御牛飼一頭分」との注記がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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