日本歴史地名大系 「朝丸村」の解説 朝丸村あさまるむら 山形県:東田川郡余目町朝丸村[現在地名]余目町余目南口(みなみぐち)村の東と西にあり、東は上朝丸村、西は下朝丸村とよばれ、両村は二〇町ほど隔っている。上朝丸村の北西は町(まち)村、下朝丸村の東は興屋(こうや)村。暦応三年(一三四〇)正月二四日の安保光泰置文(安保文書)に「海辺余部内阿佐丸郷」とみえ、光泰から次男左衛門尉直実に譲られている。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では余目館廻(あまるめたてまわり)村高六六四石余に含まれるとされるが、上朝丸村のみと思われる。菖蒲氏年代記(菖蒲文書)には承応二年(一六五三)に下朝丸を開発とあり、巳九月の願書(鶏肋編)には左沢浪人芳賀善兵衛が「未之年余目之内朝丸野と申所新田申立切闢住所仕候」とある。未の年は明暦元年(一六五五)で、前年に開墾に着手し翌年その地に居住したものであろう。下朝丸は朝丸新田村ともよばれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報