朝岡興禎(読み)あさおかおきさだ

精選版 日本国語大辞典 「朝岡興禎」の意味・読み・例文・類語

あさおか‐おきさだ【朝岡興禎】

江戸後期の画家狩野栄信の子。初名信義。号平州。江戸の人。幕府の御絵番掛りとなる。のち隠居し、日本美術史を研究し、「古画備考」を著わす。寛政一二~安政三年(一八〇〇‐五六

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朝日日本歴史人物事典 「朝岡興禎」の解説

朝岡興禎

没年:安政3.4.27(1856.5.30)
生年:寛政12(1800)
江戸後期の画家。画家伝などに関する考証家。初名信義,号平洲。木挽町狩野家8代目伊川院栄信の次男。文政3(1820)年朝岡興邦の養子となり,天保4(1833)年家督を継ぐ。将軍徳川家慶の寵遇を受け,天保2年御小納戸,次いで御絵番掛となる。嘉永6(1853)年役を辞し,剃髪して三楽と号した。著書『古画備考』は,属目した古画類の落款印章などの記録や貴重な古文書を多数載せ,明治以前の画家伝研究として今なお重要である。のちに太田謹がこれを増訂して明治37(1904)年刊行した。<参考文献>片野青邱『増訂古画備考』解題(同書首巻)

(仲町啓子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝岡興禎」の解説

朝岡興禎 あさおか-おきさだ

1800-1856 江戸時代後期の画家,美術史家。
寛政12年生まれ。狩野伊川(いせん)の次男。江戸の人。文政3年幕臣朝岡興邦(おきくに)の養子となり,小納戸役,絵番掛をつとめる。日本画家伝「古画備考」をあらわした。安政3年4月27日死去。57歳。初名は信義。通称三之助,三次郎。号は平洲,三楽。

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世界大百科事典(旧版)内の朝岡興禎の言及

【古画備考】より

…江戸末期に朝岡興禎(おきさだ)(1800‐56)の著した日本画家伝。興禎は狩野栄信(ながのぶ)の次男。…

※「朝岡興禎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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