朝日神明宮跡(読み)あさひのしんめいぐうあと

日本歴史地名大系 「朝日神明宮跡」の解説

朝日神明宮跡
あさひのしんめいぐうあと

[現在地名]東区神崎町

江戸時代の松山まつやま町にあった(文化三年増修改正摂州大阪地図)。天照皇太神を祭神とすることから単に大神宮ともよばれた(摂陽群談)。旧村社。朝日の社名は祭神の天照大神にちなむとも、「当社の神子祈願成就せずといふことなし、世に発向するを日の出と云の諺に因れる」(同書)ともいうが、社殿が東面したためと考えられる(浪華百事談)。ただし後世西向きになったという(摂津名所図会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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