日本歴史地名大系 「朝来帰村」の解説
朝来帰村
あさらぎむら
西は海に面し、北は
慶長一六年(一六一一)の加太浦より錦浦迄加子米究帳(栗本家蔵)に「朝羅岐浦」とみえる。慶長検地高目録は朝来帰村と記し、村高一八九石余。元和五年(一六一九)以降和歌山藩田辺領。富田組に属した。宝暦一〇年(一七六〇)の大指出帳写(「東富田村郷土誌稿」所収)によれば家数五二(役家一五・無役家三七)、人数は男一六五・女一二〇、牛一三、漁船九、磯小舟五、網六帖、海老網一〇帖、地引二帖、沖取一帖、水主米は一七・二石、種貸利米一・五二石、生業は田畑作りのほか日雇水主漁師などで、朝来帰峠に遠見番所、椿山に狼煙場三ヵ所があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報