白浜町(読み)シラハマチョウ

デジタル大辞泉 「白浜町」の意味・読み・例文・類語

しらはま‐ちょう〔‐チヤウ〕【白浜町】

白浜

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日本歴史地名大系 「白浜町」の解説

白浜町
しらはままち

面積:一七・〇七平方キロ

安房郡の最南端に位置し、東は千倉ちくら町、西と北は館山市に接し、南は荒波が岩礁を削る太平洋に面している。岩礁地帯は有数の漁業地帯である。町域は太平洋に沿って帯状に展開し、北側の台地から南にかけて三段の海岸段丘からなる。段丘上には水田と花卉栽培で有名な畑作地帯とがほぼ半々の割合で国道四一〇号に沿って展開し、農業集落が形成されている。下段の段丘は元禄一六年(一七〇三)一一月の大地震で形成され、ここには主として漁業集落があり、野島のじま崎は元禄地震の隆起により陸地とつながったという。三段丘のさらに下の海岸段丘は大正一二年(一九二三)の関東大地震によって形成され、現在は海岸道路(房総フラワーライン)に沿ってホテル・旅館・民宿・レジャー施設が点在する。町域のほぼ中央を流れる長尾ながお川が東の白浜地域と西の長尾地域とを二分している。古代から中世の町域は白浜地域が安房郡、長尾地域が朝夷あさい郡に所属していたと考えられる。

滝口たきぐち貝塚は縄文時代前期から後期にかけての石鏃や獣骨を出土し、滝口遺跡からは祭祀用土器や石棒が出土。平城宮跡出土の天平一七年(七四五)一〇月在銘の木簡に「上総国安房郡白浜」の記載がある。


白浜町
しらはまちよう

面積:六五・五三平方キロ

西牟婁郡の西端に位置し、西は太平洋に臨み、北は田辺市上富田かみとんだ町、東から南は日置川ひきがわ町に接する。西部の臨海地帯は温泉地で、湯崎ゆざき温泉は牟婁温泉の名で古くから著名。昭和八年(一九三三)に国鉄紀勢西線(現紀勢本線)が開通してから白浜温泉として急激に発達し、「関西の熱海」とよばれ、屈指の泉都となった。町内の海岸には千畳敷せんじようじき三段壁さんだんぺき円月えんげつ島などの奇勝や京大臨海実験所・南方熊楠紀念館がある。中央部を富田川が南流して海に注ぎ、流域の富田地区は農業生産を主とし、南端に椿つばき温泉がある。町域には紀勢本線白浜駅・紀伊富田駅・椿駅があり、国道四二号が縦貫し、県営南紀白浜空港がある。


白浜町
しらはまちよう

2006年3月1日:西牟婁郡白浜町・日置川町が合併
【白浜町】和歌山県:西牟婁郡
【日置川町】和歌山県:西牟婁郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白浜町」の意味・わかりやすい解説

白浜〔町〕
しらはま

和歌山県南西部,太平洋に突出する白浜半島と富田川下流域,および日置川中・下流域を占める町。1940年瀬戸鉛山村から名称変更して町制施行。1955年南富田村を,1958年富田村と田辺市の一部をそれぞれ編入。2006年日置川町と合体。町域の西半分はおもに温泉を中心とした観光地。奈良時代から牟婁ノ湯(むろのゆ)として知られた湯治場の湯崎を中心に,第1次世界大戦後白浜地区の温泉開発が進み,1933年の紀勢線開通後急速に発展。南西部の椿温泉も含めて白浜温泉と呼ばれ,全国的にも名高い。白良浜は町名の由来となった砂浜海岸で,海水浴の適地。加えて海食地形の円月島(高嶋)および千畳敷(国指定名勝),三段壁などの海岸美に恵まれ,ゴルフ場,動物園や水族館などの複合施設アドベンチャーワールド,海中展望塔などの施設も多い。北西の番所崎には南方熊楠の記念館がある。町域の東半分はほとんどが山地で,林業が中心。江戸時代から木材集散地として栄えた。海岸線沿いの富田坂から仏坂,すさみ町の長井坂に続く熊野古道の大辺路は,「紀伊山地霊場と参詣道」として 2004年に世界遺産の文化遺産に登録(→熊野街道)。また国の史跡にも指定されている。白浜の泥岩岩脈,化石漣痕オオウナギ生息地はいずれも国指定天然記念物。町域の一部は吉野熊野国立公園大塔日置川県立自然公園古座川県立自然公園に属する。JR紀勢本線,国道42号線が通るほか白浜スカイラインが通じ,南紀白浜空港もある。面積 200.98km2人口 2万262(2020)。

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