木之崎村(読み)きのさきむら

日本歴史地名大系 「木之崎村」の解説

木之崎村
きのさきむら

[現在地名]長沼町木之崎

南横田みなみよこた堀込ほりごめ両村の東、江花えばな川北岸の平地と緩丘陵に立地。永禄年間(一五五八―七〇)と推定される六月九日の結城晴綱書状(新編会津風土記)に「木崎・矢田野ニ被致在陣候岩城面々」が石川氏に通じていることを蘆名氏に伝えている。永禄九年と推定される八月一一日の蘆名盛氏書状案(同書)に「木崎之義無心元」と当地の敵方に備えようとしている。天正二年(一五七四)二階堂氏領であった保土原ほどわら(現須賀川市)外城および「木崎」一帯が田村清顕により焼払われている(正月晦日「田村清顕書状」伊達家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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