朝日日本歴史人物事典 「木原楯臣」の解説
木原楯臣
生年:文化2(1805)
江戸後期の有職故実家。名は初め真足。通称は初め英太,のち楯太。藤園と号す。肥後熊本藩士。幼少から剣術,馬術,軍学,犬追物などを学び,その奥義をきわめたという。同藩の長瀬真幸,林桜園に従って皇朝学および歌学を修め,敬神尊王の説を唱え,特に有職故実の学に精通した。群書を博捜するにとどまらず,自ら実物を擬作するという徹底ぶりで,著書に『古兵器図解』『楯臣直垂考』などがある。藩主の命により江戸に出ること数次,伴信友と最も親しく,信友は随筆『比古婆衣』で楯臣の説を多く採用している。
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報