日本歴史地名大系 「木尾嶽城跡」の解説 木尾嶽城跡きおだけじようあと 石川県:羽咋郡富来町貝田村木尾嶽城跡[現在地名]富来町貝田富来川と支流広地(ひろじ)川との合流点に位置する通称城(しろ)ヶ根(ね)山にあり、山頂からは富来川流域や日本海・高爪(たかつめ)山を一望できる。山頂部に本丸跡と伝える平坦面があり、ほかに二の丸・馬場跡・兵舎跡・殿様池などの地名が残るが、学術調査はまだ行われていない。貞和二年(一三四六)五月日の得江頼員軍忠状(得江文書)に「富来院内木尾嶽」とみえ、同年三月六日、一族の八条殿ならびに新田貞員・栗沢政景・富来俊行以下を率いて能登に乱入した前越中守護井上俊清は、木尾嶽を占拠し籠城した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by