改訂新版 世界大百科事典 「細川清氏」の意味・わかりやすい解説
細川清氏 (ほそかわきようじ)
生没年:?-1362(正平17・貞治1)
南北朝時代の武将。和氏の子。初名元氏,通称弥八。左近将監,阿波守,伊予守を経て相模守となる。足利尊氏に従って軍功を重ね,1353年(正平8・文和2)山名時氏らの南朝軍による京都進攻の際には,足利義詮(よしあきら)方のしんがりを務めて敵の追撃を退け,後光厳天皇,義詮を擁して美濃に逃れた。翌年若狭守護さらに引付頭人となり,55年尊氏に従って,京都を占領した足利直冬を攻めてこれを追い,京都を奪回した。58年(正平13・延文3)将軍義詮の執事となって権勢を振るったが,旺盛な権勢欲と強引な分国拡張策が諸将の反感を買い,佐々木高氏(道誉)の讒言により義詮からもうとまれ,61年(正平16・康安1)若狭に退いた。義詮の命をうけた幕府の討伐軍が若狭に迫ると,清氏は南朝に帰順して楠木正儀,石塔頼房らの南朝軍とともに京都を攻略したが,翌62年幕府軍の逆襲にあい,敗れて阿波ついで讃岐に赴き白峰城に拠って再挙を図ったが,同族の細川頼之に攻められ討死した。
執筆者:小林 保夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報