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桃井直常 もものいただつね

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桃井直常
もものいただつね

南北朝時代の武将。右馬権頭,播磨守。伊賀,若狭,越中守護。足利の支族で,貞頼の子。室町幕府の成立に尽力したが,観応の擾乱以後は足利直義に従って足利尊氏に対抗。 (→桃井氏 )

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桃井直常 もものい-なおつね

もものい-ただつね

桃井直常 もものい-ただつね

?-? 南北朝時代の武将。
足利氏の一族。北畠顕家(あきいえ)との戦いで功があり,若狭(わかさ),伊賀(いが)の守護をへて越中守護となる。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では足利直義(ただよし)方の中心勢力。幕府に一時帰順するが,応安4=建徳2年(1371)越中で斯波義将(しば-よしまさ)に敗れ,以後の消息は不明。名は「なおつね」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

桃井直常

生年:生没年不詳
南北朝時代の武将。貞頼の子。兵庫助,駿河守,刑部大輔,右馬権頭,播磨守。建武4/延元2(1337)年陸奥から後醍醐天皇方の北畠顕家が攻め上った際,足利尊氏の次男義詮 に従ってこれを追撃し,翌年奈良に破る勲功をあげた。その功を高師直が無視したために,観応1/正平5(1350)年の観応の擾乱では尊氏に反して直義方に走ったともいわれるが,若狭(福井県)守護になったのはこの直後である。その後伊賀(三重県)守護を経て,康永3/興国5(1344)年に越中(富山県)守護となってからはここを本拠とする。観応の擾乱では一貫して直義党の中核を担い,観応2/正平6年1月には越中から大軍を率いて入京し,尊氏・義詮父子を追い出した。翌2月尊氏,直義が和睦し直義が幕政を握ると引付頭人に起用されている。しかし同年8月直義が越前に逃げると,このときの尊氏との和睦交渉には最後まで反対し,直義が殺されたあとも山名氏ら直冬党,南朝勢力と結んで越中に勢力を保ち,文和4/正平10年には入京して尊氏を近江に追った。貞治1/正平17年越中で室町幕府軍に敗れ,京都を経て関東管領足利基氏のもとに逃れるが,貞治5/正平21年に基氏が死ぬと,出家して幕府に帰順し,越中守護には失脚した斯波氏に代わって弟直信が任じられた。しかし,翌年斯波氏が幕府に復帰すると再び圧迫を受けて,応安1/正平23年越中に逃げた。直信に代わって同国守護となった斯波義将と3年間戦った末敗れ,以後消息を絶つ。<参考文献>『富山県史/通史編』Ⅱ

(河村昭一)

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世界大百科事典 第2版の解説

もものいなおつね【桃井直常】

南北朝期の武将。生没年不詳。〈ただつね〉ともよむ。足利一門。貞頼の子。建武以来足利氏に属し,駿河守,刑部大輔,右馬権頭,播磨守,若狭・伊賀・越中の各国守護を歴任。1338年(延元3∥暦応1)南朝救援のため奥州から西上した北畠顕家軍を南都に破り,武名を高めた。観応の擾乱(じようらん)に際しては終始足利直義側に立って活躍,50年(正平5∥観応1)直義の挙兵に応じて越中より大軍を率いて入洛,直義側を勝利に導くなど,室町幕府政治史に大きな足跡を残した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桃井直常
もものいなおつね

生没年不詳。南北朝時代の武将。刑部大輔(ぎょうぶのたいふ)、右馬権頭(うまのごんのかみ)、播磨守(はりまのかみ)。貞頼(さだより)の子。足利尊氏(あしかがたかうじ)に属し、1338年(延元3・暦応1)奥州より侵入した北畠顕家(きたばたけあきいえ)軍を大和(やまと)に破るなどの軍功をあげ、若狭(わかさ)守護、伊賀守護を経て44年(興国5・康永3)越中(えっちゅう)守護となった。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)には足利直義(ただよし)方となり、51年(正平6・観応2)北陸の大軍を率いて入京し直義方を勝利に導いた。ついで直義とともに北陸に逃れ、直義の没後も足利直冬(ただふゆ)党や南朝方と連携して幕府に抵抗し、再三京都に突入した。66年(正平21・貞治5)幕府に帰順し弟直信(なおのぶ)は越中守護となる。翌年以来ふたたび背き、能登(のと)をも侵したが、70年(建徳1・応安3)子直和(なおかず)は越中で討ち死にし、翌年直常兄弟は越中守護斯波義将(しばよしまさ)、能登守護吉見氏頼(よしみうじより)らに完敗、行方をくらました。[小川 信]

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世界大百科事典内の桃井直常の言及

【越中国】より


[南北朝~室町時代]
 建武政権の下で,越中国司には中院定清が任じられたが,守護には吉見頼隆,ついで越中の豪族普門俊清がなった。その後これに替わって桃井直常が守護となったが,直常は1350年(正平5∥観応1)観応の擾乱(じようらん)で足利尊氏に反した足利直義にくみし,南朝方として反幕軍事行動をとったため,越中は反尊氏方の拠点となった。その間に井上暁悟(普門俊清と同一人物)が再び守護に任じられ,その後守護は細川頼和,斯波氏(高経か),桃井直信,斯波義将と交替した。…

【桃井氏】より

…足利氏庶流の中世武家。足利義兼の子義胤が上野国群馬郡桃井郷に住し,桃井と号したのに始まる。孫の代で2流に分かれ,南北朝期に至って活躍。胤氏の1流から出た尚義は1333年(元弘3),新田義貞に属して鎌倉を陥落させた。一方頼直の流では直常が出て,越中桃井氏の基礎を築いた。直常は観応の擾乱(じようらん)期の幕府政治に大きな影響力をもち,終始足利直義党の最右翼として活動した。直義没後は衰退の途をたどったが,弟直信が67‐68年(正平22∥貞治6‐正平23∥応安1)に越中守護となるなど,なお余勢を保った。…

※「桃井直常」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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