日本歴史地名大系 「木崎原古戦場跡」の解説 木崎原古戦場跡きさきばるこせんじようあと 宮崎県:えびの市池島村木崎原古戦場跡元亀三年(一五七二)五月四日、伊東軍と島津軍との合戦が行われた古戦場跡。現在の池島(いけじま)・今西(いまにし)地区一帯。合戦の場となった木崎原の景観は、木崎原合戦記(旧記雑録)によれば、合戦以後太刀洗(たちあらい)川とよばれるようになった川を中心とし、周辺には南は小木原(こきばる)、右には「鞍津輪村野間門」とよばれる民家があり、左には水田が広がると記される。同年五月四日夜半、島津方の守る加久藤(かくとう)城を伊東義祐の弟伊東加賀守らが襲った。反撃のため島津方は飯野(いいの)城から軍勢を発し、同城南西の木崎原で両者の合戦となった。伊東氏は加賀守自身をはじめ大将を失う大敗北を喫した(前掲合戦記、「箕輪伊賀自記」「長谷場越前自記」旧記雑録など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by