木崎名(読み)きさきみよう

日本歴史地名大系 「木崎名」の解説

木崎名
きさきみよう

牛屎うしくそ院の一名で、大字大田おおたの木崎を遺称地とする。薩摩国建久図田帳には島津庄寄郡牛屎院三六〇町(惣地頭島津忠久)のうちとして、「木崎十五町 名主前内舎人康友」とある。康友は新田宮執印・五大院院主職と鹿児島郡司であった惟宗康友で、木崎名一五町は康友の子孫に相伝された。寛元元年(一二四三)八月一〇日の五大院主迎阿譲状(新田神社文書)によれば、嫡男惟宗友成には牛屎の本免田一丁と、宮里みやざと(現川内市)と合せた新免田一六丁、次男師久には牛屎の新免田一〇丁、三男康秀には牛屎の新免田三丁が譲与され、さらに惟宗一子分として牛屎新免田一丁が譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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