木曾良村
きそらむら
[現在地名]岩槻市府内二丁目
岩槻城下富士宿町の南に位置し、南東は村国村、南西は飯塚村。江戸時代の郷帳類や「風土記稿」には記載がないが、宝永六年(一七〇九)の岩槻各町宗門人別惣高(勝田家文書)の端裏書に「きそう村」とみえ、人数五九とある。「郡村誌」に「寛永十年癸酉の縄入に木曾良村平十郎と記載せり、然れば其以前より独立の村なるべし」とある。しかし江戸時代には木空村と記されており(「願書帳」高橋家文書)、木曾良村の表記は近代になってから用いられるようになったと思われる。「郡村誌」には戸数二〇・社一・堂一、人口一四六、民業は「男女農を専とす」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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