木村城(読み)きむらじょう

日本の城がわかる事典 「木村城」の解説

きむらじょう【木村城】

広島県竹原市にあった山城(やまじろ)。瀬戸内海に面する竹原港から賀茂川を5km遡った丘陵地の先端部に位置し、古来、山陽道が通る交通の要衝であった。1258年(正嘉2)沼田(ぬた)小早川茂平(こばやかわしげひら)の四男政景(まさかげ)が、都宇(つう)竹原荘の地頭として木村城を築城、この城を拠点として竹原小早川家を開いた。以来勢力を拡大し、本家の沼田小早川氏と同格になるほどにいたった。1541年(天文10)、14代興景(おきかげ)は毛利元就(もうりもとなり)とともに武田氏の佐東銀山城(さとうかなやまじょう)を攻めていたが、陣中病没。興景夫人が元就の姪であったところから、1544年(天文13)元就の三男隆景(たかかげ)が竹原小早川家を相続し、木村城に入った。さらに隆景は、1551年(天文20)に沼田小早川家も相続し、拠点を高山城に移したため木村城は廃城となった。現在、標高150mの城跡には階段状に十数ヵ所の曲輪(くるわ)があるほか、石組みの井戸、石垣、土塁が残っている。JR呉線竹原駅からバス15分で和賀神社(小早川神社)前下車、徒歩20分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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