朝日日本歴史人物事典 「小早川茂平」の解説
小早川茂平
鎌倉中期の武士。景平の子。建永1(1206)年に安芸国(広島県)の沼田荘を父から譲られたことや,小早川氏の嫡流が建保1(1213)年の和田合戦により所領を没収されたことなどもあって西国に移り住む。承久の乱(1221)では隣接する荘園の武士らの動きを注進して勲功賞として都宇・竹原荘を得る。乱後には六波羅探題に仕える在京人として京都の警護を行う篝屋の守護人になった。その間,沼田荘の地頭として荘内の塩入荒野の開発を行って荘園経営に尽くした。他方,領家の西園寺家にも仕え,美作守になったのも美作(岡山県)が西園寺家の知行国であったことによる。『古今著聞集』に作者橘成季から都鳥を預かって飼っていたという話がある。<参考文献>石井進『中世武士団』
(五味文彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報