木村 昌福
キムラ マサトミ
大正・昭和期の海軍中将
- 生年
- 明治24(1891)年12月6日
- 没年
- 昭和35(1960)年2月13日
- 出生地
- 鳥取県
- 学歴〔年〕
- 海兵〔大正2年〕卒
- 経歴
- 昭和16年鈴谷艦長として、南方作戦、ミッドウェー海戦、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加。17年少将。18年第3水雷戦隊司令官としてニューギニア北岸ラエ輸送作戦従事中に重傷を負い、帰国して療養。同年第1水雷戦隊司令官として、キスカ島で孤立無援となった陸海軍将兵約5000名の救出に成功。19年第2水雷戦隊司令官。20年連合艦隊付、対潜学校長を経て、防府海軍通信学校長となり、終戦。同年中将に。戦後、防府市で製塩会社を経営。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
木村昌福 きむら-まさとみ
1891-1960 大正-昭和時代前期の軍人。
明治24年12月6日生まれ。海軍の水雷戦術専門家として駆逐隊司令,軽巡洋艦艦長などを歴任。昭和18年第一水雷戦隊司令官となり,アリューシャン列島キスカ島からの撤収作戦を成功させた。敗戦後の20年11月中将。昭和35年2月14日死去。68歳。鳥取県出身。海軍兵学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 