日本歴史地名大系 「木裳村」の解説 木裳村きのもむら 大分県:宇佐郡安心院町木裳村[現在地名]安心院町木裳下市(しもいち)村の東、津房(つぶさ)川支流深見(ふかみ)川流域に位置し、村の東端を津房川が北流する。「きのむ」ともいう。大平(おおひら)からは石棺が出土、また古代の宇佐郡安覆(あしぶ)駅(延喜式)を当村南部に比定する説がある。応安八年(一三七五)六月一日の大福寺領散在田畠等坪付(末弘文書)に「一所壱反廿代安心院内門田」とみえ、同所は兵部殿からの本物返しであったが、この門田は地内門田とみられる。なおこの門田や字神手(じんで)を「宇佐大鏡」にみえる新開(しんがい)庄用作一町八反の地とみるむきもある。年月日未詳の大友親治知行預状(大友家文書録)によると「宇佐郡之内、木野牟伍町」が井大蔵丞に預け置かれている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by